更新:20 hours ago
- 9/8 稲を毎年倒す田んぼ
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台風は頑張ってくれた。昨日から雨は結構降ったし、これを書く今も降り続いている。気持ち的にはもう少し降り続いて欲しい。畑の底深くまで濡らすくらいに。
ただ稲が倒れつつある田んぼが気の毒である。晩生(おくて)の品種のキヌムスメはほとんど問題ないが、やっぱり品種的に倒れやすいコシヒカリ。あちこちの田んぼで倒れつつある。稲を倒すのは風だけではなく、雨もだ。雨に濡れた稲穂はかなり重くなる。そして倒れる。倒れるのにも程度があって、コンバインの爪がもぐりこめるような倒伏、つまり地際は倒れずに茎が湾曲するように倒れている稲は問題ない。というより、豊作の稲ということが出来る。つまりこういう倒れ方をする稲は理想形で、うちのように全く倒れる気配がないのは、穂が軽い可能性がある。もちろん過去には豊作の稲だって倒れなかったから、倒れない作り方というものを私が実践していると言うこともできて、このことの是非は一概には言えないものだ。
しかし、地際からベターッと倒れる、ローラー倒伏とか挫折倒伏などと言うが、これはもういけない。管理のしかたが間違っている。いくら倒れやすいコシヒカリといえ、今回の台風程度のことで倒れるのはやっぱりおかしいし、台風が来る前から既に倒れている田んぼもある。そしてそういう田んぼは毎年倒しているもので、明らかに管理がおかしい。原因はたくさんあるが、私の見るところ一番は中干しのあとの水管理ではないか。ガチガチに干したり、ガブガブに水を入れたりの繰り返し、メチャクチャである。こういう稲の根はすぐ腐る。稲刈りの時に引き抜くと株ごとスポッと抜ける。根が腐っているのに元気に立っていられる訳がない。そして本人は「今年も肥(こえ)が多すぎた~」とか、「もっとガチガチに干し固めれば良かった~」とかトンチンカンな反省をしている、という場合が多そうだ。
こういう倒れ方をした稲を刈ることほど、惨めなものはない。手間が3倍も4倍もかかり、なにより体が辛い。コンバインでは普通に刈れないから、1人が稲をいちいち起こながらコンバインを進ませるか、諦めて初めから鎌で手刈りする。挙句そうまでして刈ったお米の品質は悪い、収入も減る、とくる。
だから見ておれない、一言教えたいと思う。しかし、この世界はここからが難しい。とても聞く耳を持たない。畦端での四方山話のついでに機会をみて言ってみるが、内心で「なにお~、生意気な。」とか、「お前のような若造に何が分かる」とかいう目になる。自分はベテランだ、と言いながら、聞いてみると私より稲作経験が短い場合もある。
という人であるなら仕方がないが、気の毒なのは、謙虚な人で助言にしっかり耳を傾けても、次の年になると、ついまた同じ管理をしてしまうという場合である。「百姓の来年」などという言い方をする。1年に1度のことなので、忘れてしまうのだ。このことには私も悩んでいる。生活をかけているのでそんなにつまらぬ失敗はしないが、だからこそ小さな失敗が痛手となる。「そうだ去年もやったよ、何やってんだ俺は。」となる。
自分が何歳で死ぬか、と考えると、あと何回稲つくりができるかがわかる。10回くらいしかできないというなら、いつまでも誤解したままで辛い思いをするのではなく、もう少し何とか考えを変えられないか。大きなお世話だが、苦労されている姿を見るとどうしてもそう思ってしまう。
かく言う私も、まだまだ誤解は多いことだろう。自然に対する誤解。偉そうなことを言うのは何十年早いか。110歳くらいまでは現役でいたいと思っているが、実際にはいくつまで生きれるか。稲つくりだって牛蒡つくりだって、まだあと100回くらいはしたいが、それは無理な話で現実はあと30回くらいか。改めて思えばわずかにそんなものかと悲しくなるが、林業よりはマシ。こちらは1回か2回くらいのものだ。
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熱血ハンダ
田んぼやのひとり言です。
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